2014年08月01日

子どもの頃の「作る」の経験

たまにプレゼン資料やお客さんに配布するチラシ用に「顔写真をください」といわれることがあります。なんとなく2011年頃のショートヘアでにこーってしている写真を使いまわしていたのですが、カメラマンになった友達とも再会できたし、新しく撮ってもらうことにしました。
せっかくなので普段からかっこいい写真を撮っているけんちゃんの作品みたいな写真にして欲しいなと思って、あれこれ注文を出して面倒をかけています。
でも「こんな感じかな?」と写真をいじったりしながらコンセプトを話し合うのも楽しいです。

私達が中学生の時に将来こんなふうに関わっているとは思いませんでした。
でもあの頃から、男子の割りに(笑)大人びて紳士的なけんちゃんはとても気楽に話せる男子でした。
今思うと、私の中学の同級生はとても多才で、色々な方面で活躍している人がいます。
一生懸命の人に「杭を打つ」ようなことをせず、見守ってくれる気風のある学校でした。
生徒が企画したイベントを生徒に任せてやらせてくれたり、音楽やダンスをみんなの前で披露できるような機会も多かったです。逆に特に勉強のできる人たち(学年のトップ10のような方々)は天才的な天然ボケキャラだったり謙虚で優しい子が多く、勉強で及ばない周りの子どもを蔑むような風潮もありませんでした。
私はイベントで会場の美術監督みたいなことをするのが好きでした。謝恩会や文化祭のようなイベントのときに体育館の窓をステンドグラス風にしたり、各クラスのフラッグをつなげて体育館のものすごく高い天井の中央から提げたり、ステージの左右に巨大な桜の木を作ったり、イメージ画を描いて提案し、みんなで制作設置する時に指揮をとるようなしゃかりき少女でした。今思えば体育館を使うような大掛かりなインスタレーションを何十人もの中学生を動かしてやっていたのはすごい経験だったんだなあと思います。
日常のことで言えば、体育の創作ダンスの授業で振り付けなどを率先してやりました。私が思いついたテーマは「鏡」で、メロディーのない現代音楽のような音をピアノで作ってカセットに録音して使用するという本気ぶりでした。ついでに、このダンスで私のグループは中学校代表になり、地元の創作ダンス発表会などに出場しました。授業中などのちょっとした出し物でも、グループで「何か作って発表する」というイベントには全力で取り組み、作ったり練習したり、友達も協力してくれました。(私の友達がバレリーナや水泳選手、ピアニストというそれぞれ夢中になるものを持っている子ども達だったこともきっと良かったのだと思います。)そんなことが本当に楽しかったです。

さかのぼれば、小学校6年の秋、運動会の様に全学年の保護者が集まる校庭での文化祭では、自分のブロック(1ブロックが各学年20数名程度×6学年の集団で総勢130名 全体は4ブロック)の出演する野外演劇のようなものの台本を書いて、演出や美術監督までしゃしゃりでてやっていました。内容は殆ど覚えていないので、なんてことない陳腐な内容だったと思うのですが、当時私は舞台で活動をする地元の劇団に所属していて、演劇にのめりこんでいたので、重要な役を任せた出演者を「滑舌が悪い!!」とか言ってプロの演出家気分で厳しく指導して泣かせてしまったこともありました。しかし、それでも次の日には「家で練習してきた」と言って応えてくれるような子どもたちでした(私も6年生でしたけど)。本当にあの時のみなさんごめんなさい。
当時の話をすると、旦那さんには「俺は子どもの頃はそうゆう押し付けてくる女子が一番苦手なタイプだった」と言われますが、内心そう思っていた子もいたでしょうね。(高校1年の時にそういうノリでクラスの文集を作っていた時に初めて正面からバッサリ拒絶された男子がいて、とても社会勉強になりました)
小中学生の頃、そういう暴走気味なキャラクターの子どもでしたが、それを理由に表立って虐げたり、遠まわしにすることもなく、みんなで作品作りに協力してくれて、大きな作品が出来上がった達成感があったのは本当にいい経験でした。先生方は私の未熟な台本に口出しした記憶もありませんし、大勢の子どもを集めて動き方を練習する時にも、自分でマイクを持って動きをつけていました。その頃、先生方がどうゆう役回りをしてくれていたのか、全然覚えていないのですが、ありとあらゆる準備と調整に裏で動き回ってくれていたに違いありません。

もう一つ小学校で良かったことは、先生に使用する理由を言えば、色画用紙などの紙類は教室の備品を自由に使えたことです。それで私は学校の敷地内で拾った物を(葉っぱや木の実、プラスチックの謎のゴミなど)コラージュしたりしながら沢山絵を描きましたし、クラス新聞を友達と日常的に作っていました。

そんな小学校、中学校で、学校内のイベントで活躍して輝いていた友達が沢山いました。
ほんの一例でいえば、音楽が得意な子が合唱曲を作曲して楽譜を配ってみんなで練習して歌ったり(指揮を率先してやる子もいました)、オリジナルのネタをやる男子3人組のコントがイベント時の人気定番演目になったり、お昼の放送にはまるで本物のラジオのようなDJトークを繰り広げる少年もいました。わざわざ市長さんを体育館に招いて生徒がリサーチした市の問題点や改善点を指摘するプレゼンで輝いていた少女は大きな会社で業界最年少社長になりました。色々な子どもにスポットライトのあたる学校でした。
当時男子の間では、ギターと洋楽と、ついでにヒップホップダンスがブームでした。休み時間、教室の後ろの少し広いところで、頭でクルクル回る練習をしていたのを覚えています。当時発売されたばかりの初期の美少女ゲームのイラストを描いている男子もいました。
そういう各々の好きなものを誰かが否定したり、「くだらないことしてないで勉強すれば」という興ざめなことを言う人もいませんでした。

さて随分昔の話を書いてしまいましたが、子どもの頃のこんな時間や経験が、今思えばとても特別だったように思います。あの頃のクラスメイトにも、そして先生方にも心から感謝しています。
今日は思い出話が長くなってしまったので、また改めてケンチャンとの宣材写真の件は書きたいと思います。
posted by marie at 16:35| Comment(2) | 旅行や日常の自分のこと
この記事へのコメント
懐かしい︎仲良し夢広場だったね、たしかっ︎真理江は、Cブロックで私はAブロックだったよ。
今、大人になって思うこと…それは、あの頃の経験が今の自分を形成しているって思う︎でも、時として、周囲とは少し違って当たり前に思うことも否定されてジレンマ起こすんだよね〜きっとあの経験は、それくらい強烈で貴重だったと私は思ってます︎
Posted by なお at 2014年08月20日 03:35
そうだそんなイベントの名前だった!さかはAブロックリーダーで原稿も書いてたし当日マイクでナレーションもしてたよね!休み時間に練習してたの覚えてるよ。ほんといい経験!そうゆう風に培った積極性が大人になると仇になることも時にあるけど、それでもちょっと難しそうなことも「私に任せて!」って自分で責任持って貫けばなんとかなるって思える強さと自信をもらったことは確かだよね(^^)
Posted by まりえ at 2014年08月22日 15:44
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