2015年10月06日

軽さと抵抗感と画材のこと

最近は、色々なSNSを通して、他の作家さんの作品を日々気軽にたくさん見られます。
私はイラストレーターの方々のハイセンスで軽妙な絵が好きで、インスタグラムなどで毎日たくさん流れてくるのを見ているのですが、それで悩みも多くなったりしています。で、あれこれモヤモヤしつつ、「お洒落で軽妙な絵を描ける人は既にたくさんいるのだから、私がこうゆう絵を描こうとしちゃだめでしょ。」と自分を励ましております。

ただ、どうしてこういった「軽さ」に固執しているかというと、それは自分の絵の「重さ」にまだまだ改善するところがあると思っているからです。
2010年ごろから2013年頃までの私の絵は、まずモチーフが現実に目の前にあり、それを私のルールで分解して選択して、感覚的に面白く再構築する、という作り方でした。モチーフは特徴があって平面にしやすい構造物を選んで、形をよりシンプルに「マイナス」していって、マイナスの限界まで達したら、自分の遊びをプラスしていくので、モチーフがあっても抽象寄りの絵で、軽さも備えた絵でした。
この頃はやることがシンプルだったので、モチーフが決まっていれば1日に2枚くらい描くこともできました。
それが、2014年頃から、1枚に数日かかるようになりました。
実際にはないものや、風景を心の中で生成して、それを吐き出すようにしてモチーフを用意する絵が増えてきたからです。いわばそれは何もないところに粘土で形を造形していくようなプラスの作業です。
そうした中で、イメージの生成→再現 で終わってしまった絵は、説明的だったり以前よりも重い感じになってしまいました。「没」の作品が増えました。イメージの生成→再現の後に、→分解→再構築 という「マイナス」のプロセスが重要だったのです。
しかし、自分の中で生成した非現実的ながらも映像的なイメージを、自分以外の人にも共有できるように守りつつ、分解して再構築するのはなかなか難しいのでした。そして、こんな風に私が「苦労」しているのが画面に出てもまた重たくなってしまうわけです。

そのような「軽さ」の課題に加えて、「抵抗感」の課題も私がいつも考えていることです。
私のイメージする抵抗感は、絵の具を厚塗りするとか、マチエールの特徴的な絵の具を使うような物質的な方法では作れないと思います。
昔、クリムトやマティスの油絵を見たときに、その絵の具の層のあまりの薄さに驚きました。
近くで見ると、鉛筆の線が透けていたりして、ちょっと雑に見えるくらいでした。
その絵は、絵の具をどれだけ使ったかとか、どのような特別な絵の具を使ったかとか、どれだけ手間隙をかけたとか、どんなすごい技法を使っているとかいう価値観とは一切関係のないところで、その絵のモチーフと構図と色彩だけに価値がありました。それは紛れも無い抵抗感(存在感)を持ちつつ軽快で爽快な素晴らしい作品でした。つまり、私がイメージする抵抗感というのはモチーフと構図と色彩という基本的なこと、絵そのものの構成によって生まれるのでした。これは永遠の課題かと思います。

そういう意味でも私がこれまで画材のジャンルではチープな位置づけで、かつマチエールの殆ど強調されなアクリルガッシュを使って描いてきたことには、描き易い、という以上の趣旨が反映されていました。
しかしながら、私の絵が複雑に成長しようとしている今、マイナス作業ができないターナーアクリルガッシュとミューズマットサンダース(紙)の愛着ある組み合わせを手狭に感じるようになってきました。
マイナス作業というのは、油絵でいうと、一度描いた部分を、気に入らなかった場合にナイフや布で絵の具ごとごっそりと取れる作業です。透明水彩でも、一度描いた部分を、後から筆やスポンジで水をこすらせて拭き取り、ベースの紙の「0」を出すことができます。しかし、速乾性のアクリルガッシュは、一度描いた部分を修正するには、上から描き重ねるプラス作業しかできません。「0」にしたかったものを仕方なく「+」にしなくてはいけないのは、大変都合が悪く気持ち悪いので、極力避けようとします。そのため、どうしても筆が慎重になり、描きすすめる勢いが抑制されてしまいます。それも、「重さ」の一因ではないかと思えてきました。それに、マイナス作業は、マイナス作業によってできるにじみやボカシなど表現の幅が広がります。

そういうわけで、「軽さ」と「抵抗感」という一見相反するうような二つの追及のうえで、構図や色彩のことはもちろんですが、画材と支持体の模索もやっぱり必要だと思っています。
自分が、画材や支持体にとてもナーバスで、合わない物に触れていると一気に制作意欲(生きる気力?)が低下してしまったりする厄介な性質もあるので、焦らず気長にやろうと思います。
そのあたり(特に油絵の具の拒絶反応)はこちらでも詳しく書いています
「ガッシュと私、油絵の具の長い話」

最初でも触れましたが、私の絵が、2011年ごろの風景をベースにしつつも抽象的な要素の強いスタイルから、だんだんと情緒的で具象的、そして夢想的な風景を描くようなスタイルにじわじわと変化してきています。13歳でバルビゾン派(フランスの田舎の風景画を描く人々)の展覧会をきっかけに油絵をはじめ、14歳でシャガールに傾倒して、15歳の時にニューヨークでクレーを観て絵描きになろうと決意して、、という始まりを思い出せば、自然な流れなのかもしれません。ついでに私にはそこに猪熊弦一郎やサムフランシスのような抽象画に開眼した高校時代や辰野登恵子風の抽象画を経由した大学時代があり、水戸という水と森の街で育ったルーツにさくらももこの装飾画やナウシカを愛しんだ幼少体験が加わっております。
これからも、ずっとずっと、私という人間と一緒に絵は変化していくことでしょう。
どのような作品に辿り着くのかは、最後の最後、私の絶筆までは分かりません。
どうぞ気長にお付き合いください。





posted by marie at 22:58| Comment(0) | 絵のこと
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