2015年11月18日

マチエールへの心変わり

ようやく展覧会に出品する最後の絵を額縁屋さんに届け、遅くなっていた案内状120枚を発送して、配布用作品資料を印刷屋さんに入稿して、展覧会前の一山を超えることができました。
最近の書き残しておきたいことがたくさんあるのですが、まず、作品に影響があった二つの展覧会について。

まず横浜市民ギャラリーでの「田中千智展」

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(10月17日FB記事から)アートフェアで小さい作品を拝見してからすごく気になっていた田中千智さんの個展に行けて、大層感動致しました。
世界中の人が共鳴する作品だと思います。
心が共鳴した理由はまだ分析できませんが、田中さんの技術的な素晴らしさは何時間でも語れそう。学芸員の友人の紹介でご挨拶した3歳年上の田中さんは笑顔の可愛らしいほんわりした方でした。記念撮影お願いすれば良かった!!というか今履歴をみたら大学で一つ先輩だった!今は福岡在住かぁ。あーもっと早く知り合いになりたかった。。
ファンとしては感動しつつ、絵描きとしてはガツーンときた展覧会でした!
本当に覚悟決めて頑張ろう!

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絵に描かれた内容に心を動かされたのはもちろんですが、作品には油絵を描いたことがある人なら勉強したことがあるであろう基本の技法、マチエール、グレーズ、ドライブラシ等々、に加え荒業、或いは邪道ともいえる油彩とアクリルガッシュの混合技法(当然混色ではなく画面を分割して使っています)、その、あの手この手の技法を最大に駆使して、自分の感性を信じて迷いなく挑むその姿勢に感動しました。私は、画材屋さんや画材に詳しい方々に「アクリルガッシュは固着力が弱いから駄目な画材」「ガッシュは剥がれるからキャンバスは駄目」「油彩とアクリルは同じ支持体には無理」と言われ、そこで萎縮していました。しかし、こういう問題って100年とか先の話じゃない?本当にすばらしい作品になったら、100年先にひび割れがてきても、大事に直してもらえるんじゃない?とりあえず今自分が作れる最善の絵を思い切り描いたほうがいいんじゃない??という気持ちになりました。むしろ、「こうしたい」為にどうするか考えるべきだったのに、「あーこれって駄目なんだー」と対策を考えることを怠っていたな、とはっとしました。

もうひとつの展覧会は国立新美術館の「ニキ・ド・サンファル展」です。
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(10月31日FB記事より)ニキ・ド・サンファルの大規模な回顧展が国立新美術館で開催中。若い頃の精神の患いやコンプレックスを生々しく作品にしちゃうニキが一度嫌になって、それが驚愕のクリエイティビティに昇華されていく闘いを観てまた感動する、すごい体験でした。色彩感覚とか造形感覚とか技術だけじゃなく、言葉も思想も体験も、自分の持っているもの全てを作品に惜しみ無く注ぎ込むんだよ、と教えられました。写真がオッケーなのはこの3作品だけだったのですが、巨大な立体が並ぶ部屋が壮観です!

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ニキのタロット・ガーデンの写真集を大学院の頃から大事に読んでいて、写真ではとても親しんでいましたが、初めて大規模な回顧展で実作品を見て、印象が変わり、想いも深くなりました。
自分の中から「ひ・き・づ・り・だす」そして芸術にするために格闘して格闘して最後には造形的にすばらしい形に昇華するんだ、、と。それはやろうと思ってすぐできるワザではないでしょう。私は「ひきづりだしただけ」の作品を作る人達をたくさん知っているし、そういう作品はあまり見たくないです。しかしながら、ひきづり出さないと闘うこともできないのかな、という気がしました。
そして、ニキからも「これは○○だから駄目」みたいなことに囚われず、イメージを具現化するためにとった技法や手段の自由さをがつーんと感じました。

そんな2つの展覧会を観たことで、10月6日に書いた記事で、「私の絵はマチエールには頼ってはいけない」とはっきり断言しているのですが、私の考えは180度変わってしまいました。
私ったらなんて小さいのかしら!!覚悟が足りないのね。と思ったからです。
「○○してはいけない」という思い込みで自分を縛ることは可能性を狭めるのでやめよう、という大げさに言えば「第二の自分の声」の解放を2013年頃から意識して、描くモチーフや構図選びにストップをかけないようにしてきました。なのに、どうしてマチエールはだめなの?と自分がまた「こうなりたい」に縛られていることに気づきました。「こうなりたい」という理想は、時に「こうしたい」という自分の素直な欲求と違う時があって、そういう場合に「こうしたい」というのを簡単に切り捨ててはいけないなあと気づきました。
私の理想に触れている10月6日の記事

今回描いた最新の小品11枚にはコラージュやマチエール表現を少しづつですが取り入れています。
全面ではなく、これまで通りの紙に描画した絵の中に、メディウム(絵の具に混入する絵の具を立体的に盛り上げたり、色々なマチエールを作れる材料)やコラージュで分割した表情の違う面を作っています。
私の絵はもともと平面分割的な表現で、風景などのモチーフも透視図法をめちゃくちゃにして透視図法的な奥行きや厚みを出さずに構成を楽しむ絵ですが(色や配置で奥行きを出す時もあります)、マチエールを利用することで平面性が強化されました。え、何を今更?言葉にすればそんなの当たり前じゃない?という感じですね!!何で今までマチエールを拒否していたの?と思います。
マチエールを拒否していた理由は10月6日の記事のことに加え、私は「絵」という2次元の世界の「映像」を追求したいから、そこに「物質性」が介入してきた途端に現実に引き戻され、それはイメージではなく、「物」になってしまう、から駄目と考えていました。同じ意味で、キャンバスは厚みがあって立体的な形をしているから、まず厚みの方に目がいって物質性が強くてやだ、と。だから、キャンバスの側面に絵を描くのも嫌でした。変な3次元になるから。しかし、私の絵は写実描写ではないので、直接映像を描写しているわけでもないし、間接的に映像を心に映し出す装置みたいなものを描いているんだから、本当は関係なかったんですよね。
そういった私のこだわりや悩みというのは、本当はとってもとっても小さくてどうでもいいことで、こんなつまらないことにこだわっているのは、そもそも絵の存在感が物質性に負けてしまう程度の弱さだからなんだ、「自分の思いつくこと全部ぶつけて作ろう」という覚悟が足りないからだ!!と気づきました。
そう思った途端、まったくキャンバスの厚みも、マチエールも怖くない、コントロールできる代物だと強い気持ちになりました。画材もなんとなくタブローにはさりげなくしか使っていなかった、色鉛筆やオイルパステル、買ったきり色が合わないとしまいこんでいたアクリル絵の具(私が日ごろ使っているのはアクリルガッシュです)なども、自由に取り入れてこれまで「色」でしか分割できなかった画面に「質感の差」が加わって描くのがぐっと楽しく、楽になりました。以前の真面目優等生の私なら、「楽になる」なんてだめじゃない?と考えてやめていたかもしれませんが、楽になることで絵の持つ空気の「硬さ」「重さ」が軽減できました。変化や差をつけるため何度も塗りなおしたりして躍起になっている様子、分割の境目を綺麗にしなくちゃとまじめに綺麗に仕上げをしている作業工程が減ったからです。
まだまだ小品で始めたばかりのことで、これを大きい画面に展開していくと、違った困難があるかもしれませんが、とりあえずまたひとつ自分が鍵をしていた扉を開けたのでこれからが楽しみです。
そして、ビーズを絵に貼っている時に、「あれ、これモザイクと似ている」という気もしました。実は、今年1年お休みしていたモザイクですが、モザイクと絵がもっとうまくつながるといいんだけどな、という悩みで少し立ち止まっています。何かヒントになりそうな…。
これは世間に公開していいるブログなのにまとまらない自分の考えの備忘録になっておりますが、、
最後までお付き合いいただきありがとうざいました!


posted by marie at 11:00| Comment(0) | 絵のこと
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